日本の海苔養殖を飛躍的に発展させた養殖技術として、
@人口採苗。
A海苔網の冷蔵保存。
B浮き流し養殖
の三つが上げられる。
その開発と海苔養殖への効果について。
《人工採苗》
日本の海苔養殖は、ドゥルー女史による「糸状体」の発見で人工採苗よる養殖技術が熊本県水産試験場の太田扶桑男技師によって開発され、飛躍的に生産数量が増えた。
これは、海苔の果胞子が春先から秋にかけて海底の貝殻に潜って過ごすことをイギリスの海藻学者ドゥルー女史が発見し、海苔のライフサイクル(一生・生活環)が明らかになったため、海苔の葉体から果胞子を貝殻に付着させて、果胞子が貝殻の中で糸状(糸状体・コンコセリス)に生長し、貝殻が真っ黒になるまで拡がる。そして、秋口になると糸状体から殻胞子(海苔の種)が放出される。この種を海苔網に付着させて成長したものが海苔である。
この方法は、ドゥルー女史が海苔は貝殻の中で夏を過ごすという生活サイクルを昭和24年(1949)に発見したために、人工的に海苔の種を取り養殖できるようになった。
しかも、この人工採苗による養殖方法を実験し、確実に行なえる方法を生み出したのが、昭和28年当時、熊本水産試験場鏡分場にいた、太田扶桑男技師(元熊本県のり研究所)である。
養殖の実験成功が翌年の水産学会で発表されると全国的に人工採苗による養殖技術が普及し、海苔養殖漁業が確立し、生産量の飛躍的な増加を見ることになった。
《海苔網冷蔵保存》
人口採苗による養殖方法が普及するにつけ、海苔特有の病症害や自然災害による生産状態の不安定を解消できないかと言う研究も進んできた。その結果、昭和39年(1964)頃から昭和40年(1965)にかけて、海苔の種を人口採苗によって海苔網に付着させ、海苔芽が3〜5センチに伸びたところで、冷蔵庫に入庫して海苔芽を冬眠状態に置き、海況が安定したところで解凍して海苔漁場に張り込む方法が開発された。この方法によって、海苔養殖は更に発展するようになった。
この方法は、昭和12年頃、朝鮮総督府水産試験場で富士川きよし氏(後年の福岡県水産試験場有明海研究所開設者)等を中心に研究していたもので、当時同試験場で一緒に研究していた倉掛武雄氏(元愛知県水産試験場場長)が、終戦後愛知県水産試験場に入り本格的な研究の結果、海苔網の冷蔵保存方法が確立普及された。
現在も、海苔養殖の基本技術の一つとして全国で行なわれている。気象海況の変動による不安定な海苔養殖の対応策、病症害の拡大による海苔生産減の軽減対処に大きな効力を発揮している。
《浮き流し養殖》
全国的に沿岸工業地帯が造成され、埋め立てなどによる海苔漁場の減少が見られるようになった。その結果、沿岸の海苔養殖漁業者は、養殖漁場を失うところも見られた。しかし、従来の支柱竹による沿岸の干潟漁場から、沖合いの水深の深い漁場で、海苔網を干出しないで海苔養殖が行なえる方法が開発されていたため、産地によっては、漁場面積を減らすことなく海苔養殖が行なわれた。
また、沖合いでの養殖が可能な漁場環境に恵まれた産地では、海苔養殖漁場を沖合いに拡大するところもあり、国内海苔生産量は増大の方向に向ったと言えよう。
この、浮き流し海苔養殖の方法については、昭和29年頃に愛知県水産試験場の倉掛武雄氏が研究を始めていた。従来の支柱式の海苔養殖では、干満の差によって海苔網を空中にさらし海苔網を干出することによって、海苔の生長を阻害する珪藻や弱い海苔芽を間引きすることが、健全な海苔芽を育て生産数量を増やす養殖方法であるとされていた。
しかし、海苔網の冷蔵保管技術が始まると同時に、海苔芽を空気中にさらし健全な海苔芽を育てる他の方法として、人工採苗で海苔芽が濃く付いたものは冷凍することによって弱い海苔芽はある程度間引きされる、また、海苔芽の育苗条件は海流が強い海上で、太陽光量を抑えて高水温になりにくい水深で育苗すれば、海苔の養殖も十分可能であるということが分かり、沖合いに固定した海苔網を張って育苗する方法が開発された。
この結果、干潟の支柱漁場で海苔網の張りこみ枚数が増え、密殖になる漁場では、沖合いに漁場を広げ、増産することが可能になることが考えられた。折から臨海工業地帯の造成で干潟の埋め立てが進み、海苔漁場が減少する時代に海苔養殖漁業の生きる方法として、全国各産地に広がった。
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